人生で大切なことは全てオシャレJDに学んだ
オシャレとは何だろうか?
服装や化粧などを洗練したものにしようと気を配ること。(goo国語辞書)
辞書にもあるように一般的なオシャレとは、服装などの外見に関するものである。
私たちはオシャレを線形的に捉えているのではないだろうか。
それ故に、服や化粧品を買うことに固執するのではないだろうか。
服を買うなんて興味ない。店の入り口に一番近い服で事足りるではないか。
オシャレでない人間は卑屈なものだ。
しかし、こんな私がオシャレに対する考え方が変わった。才色兼備オシャレJDのインタビューを通して。
以降、OJDと呼ぶ。
彼女にとっては、顔に化学物質を塗ることがオシャレではない。
また、高いブランドの革製品を買うこともオシャレではないのだ。
OJDは高次元でオシャレをしている。
数学をやっていてよかった。
高次元なオシャレを取り扱うためには、線形代数、微積分の知識を要するのだ。
なぜ、OJDはそんなにもオシャレであるのだろうか。
それはOJDは肉体的、精神的、またより高次元でオシャレであるからだ。
OJDのオシャレを通して学ぶことが沢山ある
天然水
OJDは、天然水をよく好んで飲むようだ。飲めば大体一緒だろと水道水で事を済ます私には理解しがたい。
天然水は、アルコール度数を抑えるための飲料水では?
大学生活をアルコールと共に歩んできた私にとって、天然水というものはさして重要なものでないのである。
しかし、OJDの成すことには全て意味があるはずだ。
深くオシャレについて考察しなければならない。
ある知識が天然水とリンクする。
「身体の体重の60%は水分」ということだ。
OJDが天然水を飲む理由はここにある。
まず、天然水が水道水よりオシャレであることは自明である。
そして、大抵のJDは水道水を飲んでいるのだ。食堂の水はどうせ水道水だろ。(偏見)
効率にオシャレになるには、体重の60%を構成する水に注目することは必然であろう。
そう、お分かりの通り、OJDは天然水を飲みことによって体内をオシャレにしているのだ。
オシャレの格が違う。
以上は、ほんの一例に過ぎないがOJDが肉体的にオシャレな理由だ。
そう言えば、先日、成田空港で酸素水なるものを自動販売機で買った。
うまかった。OJDに次世代の水として紹介しておこう。
参考文献
向上心
精神的なオシャレをOJDは兼ね備える。
「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
これは、夏目漱石の小説「こころ」の先生がKへ放った一言だ。
OJDも偉人同様、向上心を大切にする。
Yahooさんのインターンに行ったことを伝えると
OJD:「Googleに行ったんだって、すごーい」
と煽りを受けた。
Yahooインターンはとんでもないものを盗んでいきました。それはわたしの心です。 - ストロングゼロは睡眠薬
よく考えてみると、これは煽りではなかったのだ。
私が、向上心を持って行動するためにより高い目標を提示してくれたのである。
また、他人を高めるだけでなく自身も高い向上心を持って行動されていらっしゃる。
聞いた話によると、生け花を趣味にしているという。
ん!?花嫁修行でもしてるのと言いたくなるが、そんなちんけなものではない。
普段、やらないことに触れ感性を磨いているのだ。そして、生け花でなくそれを生業とするものの生き様を知ることが目的なのだという。
他にも、OJDは国際交流を図ったり、社会のことを知ろうとインターンに参加するなど弊大学の学生に見習ってほしい所ばかりだ。
OJDの素晴らしい点は、向上心を持ちつつ謙虚である所だ。
向上心を持っていると、向上心のないものを無意識のうちに傷つけようとする力が働くのではないかと考える。
しかし、OJDは異なる。決して驕らない。
精神的にオシャレである。
家族の大切さ
OJDと就活の話をしていたところ、世間知らずの私でも知っている企業に内定を頂いていたにも関わらず、地元に就職するという
実はOJDと同じ県の出身なのだが、OJDの地元は栄えているとは言い難い。
優秀な人材である、OJDが才能を発揮できる機会の少ない仕事をわざわざ選ぶのか疑問に思い、問いを投げかけた。
すると、彼女の答えは、汚れた私の心を浄化するかのようなハートフルなものだった。
OJD:「親が心配」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
私:「親が心配‥」
世間の就活活動の様子をFacebookなどで拝見していると
やれ、成長だ。やれ、出会いに乾杯だ!人生の生き方の模索だと、取り憑かれているかのように自身の存在と行動を必死に肯定しようとするものが目立つ。
誰もが、自分のことに必死で何かよくわからない価値を掴もうとする中、OJDは親のことを常に頭の片隅に置いているのだ。
これが理想の親子愛なのではないかというくだらないことを考えていると、OJDの言葉が空間をオシャレに変える。
OJD:「親が寂しいと思うんだ」
なんて、素晴らしい人なんだ。未だかつて、ここまでの人格者に会ったことがない。
とりあえず、初任給で飯でも連れて行けばいいやぐらいの感覚でしか親のことを考えていなかった私の醜さが浮き彫りになり後ろめたさを感じながら、OJDの崇高なる考え方に感銘を受けた。
就活という自身の人生の岐路にも、育ててくれた両親のことを考えることができる。
もはや、人生がオシャレである。
OJDには類稀なる才能を生かして東京で実力をつけ地元に貢献して欲しいと思っていたが、もはやそれを伝えることもないだろう。
最後に
私のような、意識の低い自堕落な人間と会話をしてくれたOJDが心の広い人間であることは隠しようもない事実である。
OJDの心の広さを私は正確に観測することは叶わなかった。
本当に学びのある時間だった。
オシャレとは結局の所、なんなのであろうか?
問う
OJDが答えることはなかった。
これは、オシャレの定義などないということではないだろうか。
いや、彼女もまたオシャレというものを捉えきれていないのだ。
正確に言えばオシャレでないということはわかるが、オシャレであるということはわからないである。
私なりにオシャレを再定義すると
オシャレ = 人生を豊かにする行動の全てだ。
服のコーディネートがオシャレではない。様々な経験を通して、人はオシャレになっていくと思う。
オシャレに限界はない。OJDはこれからもオシャレになっていくだろう。
私は、OJDから何を学んだのであろうか。それは、オシャレの捉え方だ。
オシャレを線形的に捉えるのではなく、もっと高次元に捉えれば自分なりのオシャレが見つかるはずだ。
オシャレを諦めない人になろう。
まずは、天然水を飲むことから始めたい。
P.S
OJDの服はオシャレだった。
褒めるの忘れてた。
オッシャレー